きらりレシピ作成裏話と謝辞

志摩のてこちゃん
一つ一つの、お料理見ながら、当時を思い出し正直、うるうるです、器、材料を持ちよっての作業でしたからそれはたいへんでした。丁度1年かかりましたものね、皆がよく頑張ってくれました。
それが叉、新たな装いで、デビューするのですね
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志摩のてこちゃん
器も色々と考えて、皆と「ああでもない、こうでもない。」と何度もやり直しました。
P5の「伊勢えび造り」では伊勢えびに似合う器がなかなか見つからず、**さんが「竹を割って作ってみよう。」と作ってくれて、やっと納得がいく盛り付けができ完成できました。(感謝)
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志摩のてこちゃん
調理方法をまとめていて、言葉の使い方も苦労しました。
「湯をちんちんにわかす。(和具の方言で、湯を沸騰させるという意味)」という部分とか言葉使いが不適切と指摘を受け、役場や教育委員会(?)などあちこちへ原稿を送ってチェックしていただきました。
レシピの原稿をチェックしていただきました、関係者の皆様に感謝いたします。
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志摩のてこちゃん
「志摩いそぶえ会」が15年10月に発足致しました時に、ご担当くださいました、楠木 優様(三重県南勢志摩県民局・農林水産商工部・調整商工業振興チーム・商工観光グループ)がいろいろとご尽力くださいました。

最初の活動はどのようにしていたらよいかアドバイスを下さったのが楠木様でした。

先ず郷土料理に焦点をおき模索しながら志摩町に息づいている、郷土料理をひとつずつを、地元の方特に海女、漁師さんに伺いながら、何度も集まりを重ね作り出して行きました。

丁度1年余りかかりましたが、35品目からの郷土料理レシピが完成致しました。

その中で『おんこ寿司』が脚光を浴び各メディアの方々にもお披露目を頂きました。

レシピを作るにあたり会員のはなまるさんが「おんこのレシピ」を持ってきてくださり、名前の由来を調べるにあたり、伊藤幸治さん、城山寿司さん、長老の方々にお伺いに行ったりの試行錯誤でした、正直おんこ見たようなもんがはざよかれ(駄目)と言われ続けられましたが、新聞、雑誌なんかで取り上げられるようになりましたら、なんと凄い反響で【おんこ】がうれるようになって参りました。

地元の方々はこんな物と思っていても都会、他の地域の方々には凄く興味があり食べたく思うのですね。

無いもの強請りでは無く、昔から息づいている、郷土料理、文化、歴史を掘り下げ今の世代の皆さんで智恵を出してお互いに取り組む事が、素晴らしい町おこしになるのではと思いますが、如何な物でしょうか。
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志摩のてこちゃん
おんこ寿司の語源(いわれ)

昔旧暦の10月、最初の亥の日が山の神の日でした。
藁(わら)づとに赤飯を盛リ、その上に魚を一切れのせて   稲荷さんや山の神、大きな木の根元に大漁、豊作、無病息災祈願をしていました。

当事一番の御馳走だった物を御供えしていたのでしょう
この品を和具の地では【いんのこもち】と言っていました。 この形に似た【いんのこ】の「い」が「お」に訛って【おんこ】になり【おんこ寿司】といわれるようになったとか・・・
【いんのこもち】は西日本各地に伝わる亥の子餅【猪の子に似た形】と同じと思われます。

もう一つの聞学としては、子供が赤ちゃんの子守りをする時、ねんねこでおんぶしている姿がよく似ている所から、【負ん児】【おんこ】と云われるようになったそうです。

昔は大きくなった子供が弟、妹の世話をするのが当然のことで、その姿がとても可愛らしく見え、叉子供達も【おんこ寿司】が何よりの御馳走でご褒美に頂く食べ物でした。

※刺身で食べれる鮮度のよい魚でしたら何れでも美味しく作ることが出来ます。
但し鰹や鰤は時間が経つと、色が変わってしまいますが、そんな時はそのままを焼いて食べて見てください。

この資料を作るにあたりご協力くださった方々です。
城山 寿司様
伊藤 幸治
地元の皆様

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